潮音院

臨済宗相国寺派 潮音院概要
本堂本尊 延命地蔵菩薩 
観音堂 聖観世音菩薩並びに三十三体仏を安置
薬師堂 薬師如来
若狭観音霊場第28番札所
寺伝によると、法地開山は弘仁五年(814)弘法大師が舟丘、現在の丸山公園の辺りに草庵を結び、写経をもって般若林経書寺と称したが、歴史の変遷に荒廃した。元享二年(1322)明極楚俊和尚(みんきそしゅん)が精舎を興し、寺運も隆盛したが、次第に法嗣も絶えて一時は衰退した。位牌堂には明極楚俊和尚の像が、潮音院の開基をなした和尚として正面に祀られている。
天文元年(1532)桂櫨仙和尚(けいろせん)が当地に留まり、霊跡に伽藍を再興して、普済山潮音院と称し、臨済宗相国寺派に帰属した。
以来、二度の火災に遭い、寛政十二年(1800)平州和尚(へいしゅう)が現在地に移した。本尊は延命地蔵菩薩を安置している。観音堂は本郷城主高田判官義政が、舟丘の法地に境内仏殿として建立した。のち戦乱の兵火に遭い、再興の機運を失したが、江戸末期に北州和尚(ほくしゅう)が造営し、三十三体の観音像を安置した。
開基である明極楚俊和尚は、中国からの渡来僧で、後醍醐天皇にも法を説いたといわれている。楠正成公が湊川の戦いに臨むにあたっても法を説き、その関係からここ潮音院では、楠正成公を祀る神戸の湊川神社と同じ、湊川菊水を寺紋としている。

☆『みしょうくん』の由来☆


拈華微笑(ねんげみしょう)

ということばから名前をいただきました。


お釈迦さんは大衆の前で仏法とはなんぞや?という問いに、


一本のコンパラゲという華を持ってニッコリとしました。


大衆は何のことかわからない・・・


しかし弟子の摩訶迦葉さん(まかかしょう)一人だけ

ニッコリと微笑みました。


お釈迦さんは、正しい仏法は弟子に伝わったと大いに喜ばれました。


なんだか仏法って難しい??


と思われますが、そうではありません。


お釈迦さんはシンプルに、心の底からこの花の美しさに見とれていたのです。


そこには何の隔たった心もありません。


素直な気持ちでハッピーになった姿を見て、

お弟子さんもハッピーになったのです。


以心伝心、そこには言葉を超えた境涯があります。


禅という字には「ゆずる」という意味があります。


禅宗ではこのお話を大切にしております。